相互信頼 プロの詐欺師は、詐欺師の看板を掲げて詐欺をします。 福建省から来たという二人連れの行商人風の若者と北海公園で知り合い、お茶をご馳走して貰うことになりました。 「私達は良い人間でないが、あなたは良い人のようだからこの腕輪を上げよう」と玉の腕輪を差し出して、「金はもし気に入ったら日本から送ってくれたらいい」と言います。 … トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
ユーモアの天才 1997年瀋陽の看護婦学校で日本語を教えていたときのことです。 当時スーパーマーケットはまだ珍しかった。今でもそうかもしれませんが、入り口で鞄を預け、厳重なゲートを通り、客より売り子の方が多いような広い売り場で買います。 生徒を連れて行くと、チイママよろしく、買い物を厳重に検査してくれます。一枚の皿を買っても、文字通り… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
将来の国宝 北京の琉璃厂(骨董品市場)に行くと、将来の国宝級骨董品が並んでいます。 店の正面で、明の時代の茶器とか、清の時代の水煙袋(阿片を吸う煙管)などが堂々と加工されています。 そしてそれらが店頭に並べられると、何処から見ても国宝級の出来栄えです。 残念ながら、いまは只の偽物で、値段もそれ相応に安い。 日本の明治時代の… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
珈琲屋 北京のある大学の構内に、今でも「珈琲屋」という看板を掲げた食堂があります。 私も「コーヒーが飲める」と喜んでとび込みました。 店の主人が、恐る恐るコップの液体を差し出して「これを出したら、日本人が怒った。あんたどう思うか?」と言います。 「私は怒らないから、何を飲ましたか見せてくれ」と言ったら、出して来たのは、瓶の… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
最高のガイド 私は知らない土地に行くと、まずタクシーに乗ります。 そして「私は、ここは初めてだけど、君が良いと思う所を好きに走ってくれ。金は要っただけ払う」 これで、騙されたことは一度もありません。 食事時を挟んだら、一緒に食事をするのがいいでしょう。彼らの行きつけの店は、安くて美味い。一緒に食事をしたら、もう朋友です。 中… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
高級車 久しぶりで北京に行ってタクシー乗り場に並んでいたら、白タクの運ちゃんが近寄ってくる。 長い行列にうんざりしていたので、私も彼の話を聞くことにしました。 「幾らだ」 「500元」 「おい、おい、去年は100元だったぞ」 「北京も物価が上がった、まあ車を見てくれ」 車は確かに、アメリカの大統領が乗ってもおか… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
騙されて得した やはり北京のタクシーです。 降りようとしたら、メーターがとたんに急速回転する。 私 「おい、このメーター優秀だな。何処で売ってる。俺が替わって会社に電話してやろう」 運転手君「そうなんだよ。わたしもおかしいと思っていた。いつもは幾らだ?」 私「いつもは30元だけど、今日は20元だな」 運転手君 「いいよ」 … トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
江南の春 中国の春は、やはり南です。「上有天堂、下有蘇杭」(天に極楽、地上に蘇杭)。 蘇杭は蘇州杭州のことで、杭州はかつてマルコポーロに、世界で最も美しい町と言われたところでもあります。 春雨に煙る菜種と桃に彩られた西湖は、まさに地上の天国です。 下手な描写は止めましょう。江南の春と言えばこの詩をご紹介します。 江南… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
春一番 承徳は、ゴビの砂漠の南端でもあります。今はどうでしょう、子供のとき駱駝の隊商も見ました。 中国の北部は、春から初夏にかけて烈風が吹きます。 まさに砂嵐。 承徳では、一度これが吹くと、風というより砂そのものが吹きつけます。庭は雪が降ったように厚く時には10センチも砂が積もり、家の中はどんなに窓を目張りしてもざらざらにな… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
緑化運動 解放前の中国と比べて、大きな変化の一つに緑が増えたことが挙げられます。 茶色一色の大陸から舞鶴に上陸して、まず目に入ったのは豊かな緑。そして、「国敗れて山河有り」の感を深くしたものです。 当時撫順で街路樹は、高級住宅街のシンボルでした。一歩郊外に出ると、樹木は道標になるほど少なかった。 いまや郊外の道路沿線には、防… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
虫は長いお友達 中国人が使う家属の「属」と言う字をよく眺めると、体の中に虫がいるように見えませんか? 尸は体の象徴です。 虫の周りには、腸もあります。 虫は中心の「中」と言う字が支えられています。 「中」を「心」で支えたら、忠節の忠です。 古代の人は、体の中で蠢く虫を、人の魂のようにも思えたのではないでしょうか。そのように大事な永いお… トラックバック:1 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
農家肥 中国でも農薬汚染は深刻と報道されています。 日本の商社が求める基準の作物を作ろうとすると、どうしても農薬に頼らざるを得ないでしょう。 その場合私が恐れるのは、農薬汚染が肉眼で見えないだけに、肉眼しか信用しない中国人が、大量に使いすぎて基準値を超えないかということです。 それは現実に起こっています。 一般家庭で食… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
ゴキブリは何処から来た? 子供の頃もゴキブリはいました。でもそれ程目にはつきませんでした。 今、大衆食堂の残飯処理場を覗いたら、浜辺の船虫のようにぞろぞろいます。種類も数も多い。 私はゴキブリを食べたことがあります。 キャベツと春雨と豚肉と炒めた料理でした。これは私の好物です。ある日、茸みたいな物が入っていて、噛むと、かしゃっと得体の知れな… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
ニーハオトイレ このお話は、お食事前の方は飛ばして読んで下さい。 中国へ初めて来た人が、まずショックをうけるのが、トイレのようです。 扉なし、前の人のお尻とニーハオとご対面しながら用を足すのが、なじめない。実は私も、トイレは行けるときに行くようにしています。 私の子供の頃は、一歩外に出るとそのトイレもありませんでした。ではどうする… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
蝿は何処へ行った 子供の頃、外で食事をすると、白いご飯が瞬く間に黒飯になった。これは形容ではありません。 1992年、望郷の旅をしたとき、ガイドの小姐が、車の中の一匹の蝿に大騒ぎするのを見て、むしろ滑稽に思ったものです。 1972年国交回復後、中国政府が多くの日本人を招待し赤い絨毯の上を案内して熱烈歓迎が流行しました。そのときの団員の感想の… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
雀のお宿 子供のとき、あれだけ居た雀はどこへ行ったのでしょう。 ゴム銃で、ポケット一杯の石ころを持って半日回れば、子供の私でも一羽や二羽を落とせるほど、身近に居ました。 それが、今居ることは居ますが、極端に少ない。一説によると、大躍進時代毛沢東の「雀は害鳥」の一声で、抹殺されたそうです。 その方法たるや、全員が銅鑼と太鼓で雀… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
中国の自然保護 昨年、(2004年)黒龍江省の牡丹江から北、鶏西市の方へ旅行してきました。この辺一体は北大荒国営農場の一部です。北大荒農場は全体で、54万平方キロ、四国の三倍あります。 「北大荒」とは北の荒地、ツンドラ(永久凍土地帯)の意味です。そこには世界的にも貴重な沼沢が広がり、日本から、鶴や渡り鳥の重要中継地点です。 今度至る… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
街の音楽家 瀋陽市鉄西区は、瀋陽市西の郊外工業地帯、私が子供の頃は飛行場がありました。滑翔路とか、騰飛街とかの名前が残っている所がそうです。 今の第31中学校は昔の日本人小学校で、日本人もかなり住んでいました。あまり文化の香りはしない、雑然とした新興住宅地でもあります。 ある日夜店の一角から、妙なる笛の響きが流れてくる。音色に釣ら… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
盲目の易者 瀋陽の労働公園前で、一人の五十年配の男性が椅子に座り、何人かの人に囲まれていました。どうも彼は目が不自由のようです。そして筮竹などはありませんでしたが、易者のようでもありました。 私も見て貰うことにしました。ただ私の手をとって、叙事詩のように私の過去から将来を語ってくれます。 開口一番「労働をしてない手ですね!」と感嘆… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
豊年踊り 中国人の朝は早い。季節によっては五時、東の空が白むのと同時に、公園や学校の校庭には人が溢れます。 ジョギングをしている若い人もいますが、圧倒的に年寄りが多い。 太極拳をする人、後ろ向きに歩く最近流行の健康法をしている人。そしてこれも最近流行は、豊年踊りの一団です。中国語では、「秧歌」。少しふざけて「老人ディスコ」とも言… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
チャンコンの町 長崎市には、「中華人民共和国駐長崎総領事館」があります。 他に中国が日本に置いている在外公館は、札幌、東京、大阪、福岡だけです。 何故こんな田舎の小都市(長崎市民の方には失礼)に中国の総領事館があるか。それは長崎が、「チャンコンの町」だからです。 長崎ではお盆に、その年初盆を迎えた人の霊を「精霊流し」(しょうろなが… トラックバック:0 コメント:1 2005年09月28日 続きを読むread more
太子党 日本で政治通とは、派閥通のことです。二世派議員が三割とも言われる政治の世界は系図の世界です。 中国でも同じ。と言うより、中国がこの面でも先生です。 中国で派閥を作る源流は軍閥です。これが中国社会一家人の集大成で、地方都市の一地方役人といえでも、辿ればどこかの軍閥に行き着きます。 それは日本の地方議員が、保守革新を問わ… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
離休幹部 1949年、即ち建国当時なんらかの形で革命に直接参加していた人達は、離休幹部といって退職後も現役と同じ待遇を受ける特権を受けることができます。 また、解放軍に従事していて退役した人達には、「光栄」という称号が与えられています。 抗美援朝(朝鮮動乱)に一番若い年齢で参加した光栄の人達は、当時14才の少年兵ですから、その… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
赤脚医生 日本語では、「裸足の医者」です。 農村などで、他の仕事に従事しながら医療にも携わる人達です。 正規の医師の資格を持っている訳ではありませんが、注射、投薬、酸素吸入、点滴、血圧測定、緊急措置など救急医療も行います。 「問診所」と赤十字の看板が掛かっている場所が、その人達の職場です。 中国では、どんな小さな「鎮」(日本… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
緑帽子 緑化運動のシンボルとは違います。 古く明の時代に、妓楼即ち女郎屋の亭主が被ったのか、被らされたのか、とにかく彼等が頭に戴いていたことに由来する蔑称です。 意味は、女房を寝取られた亭主。又は、女房に如何わしい稼ぎをさせている紐亭主。どちらにしろ良い意味はありません。 もしあなたが、緑色の帽子をお持ちなら、中国では… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
中国人の大声 瀋陽の北70キロほどのところに鉄嶺という市があります。そのまた山奥の学校に行ったことがあるのですが、夜明けと共に裏山から一斉に小鳥の囀りを聞くことができました。 小鳥の囀りというと、田園のBGMを想い起こされるかもしれませんが、実際は騒音です。鳥の鳴き声には和音が無いということを、初めて知りました。共振周波数で和音を作ったら、… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
砂漠の恋歌 内蒙古通遼市の西北約70キロ程の所に、「科尓沁」という遊牧民が年に一度交易市を開き、競馬や射的などお祭りをする場所があります。 そこのホテルのロビーに、岩国の錦帯橋の写真が飾られているのを見て驚きました。砂漠に生きる人達にとって、豊かで清涼な水と美しい桜は夢の景色なのですね。 もっと驚いたのは、そのとき聞かせて貰った出会い… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月28日 続きを読むread more
兵馬俑の顔 西安の兵馬俑はいま復元されています。それは、生きている人間のようにリアルです。兵隊さんが履いている草鞋の裏の網目まで、細かく彫られている。 体型だけは、軍人らしく大きく誇張されていますが、その表情は、いまそのまま西安の街を歩いても現代人です。 これは幾つも興味あるテーマを提供してくれます。 食べ物が基本的に変わって… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月27日 続きを読むread more
家属 中国人は家族のことを、家属と書きます。もう少し正確にいうと、日本人がfamilyから和製漢語「家族」を作ったのではないかと、私は推測しています。 中国の家属の基本を支える思想は、儒教の三綱五常です。 三綱は、君臣、父子、夫婦の道を説き、五常は仁、義、礼、智、信を説きました。 三綱は言うまでもなく、教育勅語の精神そのもの… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月27日 続きを読むread more
管鮑の交わり 春秋戦国時代、斉の国の宰相管仲と、彼に宰相の地位を譲った鮑叔の交わりです。 二人は、若いころからお互いの才能を認め合って無二の親友でした。しかし実際の交友においては、管仲は鮑叔から借りたお金も返していませんし、鮑叔が宰相の地位を譲ったのにも見られるように、友情は一方通行です。 管仲が最後に残した言葉が、二人の友情を後の… トラックバック:0 コメント:0 2005年09月27日 続きを読むread more